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伝承ののれん「力餅」が 創業115年を迎えました。
現在、京阪神を中心に180店舗を数える「力餅」。
その輝かしい発展の始まりは、1人の血のにじむような苦闘の歴史と強靭な不屈の精神力が受け継がれてきました。
明治22年、兵庫県但馬地方出身の池口力造翁が兵庫県豊岡市(城崎温泉の近く)に
饅頭店を開店したのがそもそもの始まりなのです。 |
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| ●但馬の農家の長男として誕生 |
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力造翁は、但馬の山間へき地、兵庫県城崎郡奈佐村目坂(旧)の農家の長男として生まれ、
12歳で 旧豊岡の藩士、伊藤家の下男として奉公にでます。
主家のために、骨身を砕いて働いている力造翁葉、伊藤家の厚い信頼を集め永久に勤めるように求められるも、
実家の人手不足で老父母が農業に従事しているのを忍びず わずか3年で実家に戻り農業を継ぎます。
老父母の膝下で老養を尽くし、両親を見送って後
山間の小農の経営は、将来に希望が持てないことを悟り、故郷を離れ 豊岡の町へーーーーー。
新たな人生を自らで切り開いていきます。 |

故 池口力造翁
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| ●豊岡豊岡町に饅頭店を開業 |
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豊岡市に出た力造翁は、信頼の厚かった以前の主人伊藤家を頼って資金を借り入れ、希望に満ち溢れて豊岡市に饅頭店を開店します。
明治22年3月のことでした。この饅頭店の開店こそが、力造翁が後に「力餅」を始める基礎となったのです。
しかしながら、田舎の町のことでもあり、売り上げは予期したようには上がらず、数年後には閉店へーーーーー。
これに敗することなく、京都市に一旗をと、豊岡を飛び出します。
わずかな資金を懐中にして京都の街中を開業の場所を探し求め、寺町六角に格好の家を見つけ、
日清戦争に勝利をおさめた時勢を見て『勝利饅頭』と銘打って 再び開業をし始めました。
なかなか繁盛をみることが出来ず、親類知人から借金をして毎日を過ごす状態でしたが、
翁持ち前の不屈の精神は あくまでも商売の経営に苦心努力、一層の奮起をしていきました。 |

伊藤家
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| ●苦闘の末14年目にして、、、 |
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その後もあらゆる苦闘を続け、細々と店の営業を継いできて 資金が欠乏し閉店やむなきの窮地に出入りの酒屋の主人が
力造翁の人柄を見込んで資本金の援助を約束され、一世一代の運命をかけ、その資金で店舗の大改造に投じます。
店名を、世間の情勢にかんがみ
饅頭から『餅』に変更し、力造の名前から『力』をとって
『京都名物力餅』と銘名。
当時の宣伝を受け持っていた”東西屋”を雇い入れて、京都市内に大々的に宣伝を始めたことは先見の明で、
店舗の大改装の完成とともに、心機一転、心魂こめて力餅の経営に努力し 大売出しの断行も大いに当たり、
京都市内に「力餅」の評判は たいへんな人気を呼んで日に日に売り上げを伸ばしていくころには、14年の歳月が流れていました。 |
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| ●池口力造翁の奮闘史→「力餅」の精神 |
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一世一代の運命をかけて開店した「力餅」は、はつらつとした名称と、
翁の心魂こめた営業ぶり、日露戦争勃発の時運到来の三拍子がそろい、売り上げは うなぎ上りの勢いで、
毎日が売り切れ続きの隆盛をきわめ、数年経たずに「力餅」は京都名物の一つとして遠来のお客まで評判を得ます。
その後、餅専門から各種の献立を併せて営業することとなり、今日のような一般大衆食堂としてお客様から重宝がられ愛される
「力餅食堂」として、大阪、神戸と不動の地位を築いてきました。
すべての事業は、その創始時代に数多くの苦難が伴うことは みなさんも知られることです。
しかし、明治、大正、昭和、平成と悲運から悲運、苦難から苦難への道を孤軍奮闘し、
京阪神に力餅の礎を固めた力造翁の不屈の精神は特筆されるべきものですし、
この精神は力餅の精神として組合員に受け継がれ『力』の文字を染めた紺ののれんに 生き続けています。 |
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京阪神、山陽山陰、和歌山、関西一円に 180店にものぼる のれん分けした店舗が増えました。
私どもの店も その一店舗にあたります。
これからも ”どこよりも美味しい味!”にこだわり、更に精進・努力し続け、
美味しさ、価格、サービス、親しみやすさなど 時代のニーズに合わせて提供していきますので、
これからも 末永くご愛好いただけますよう 宜しくお願いいたします。 |
「力餅」の登録商標 |
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